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2008.07/11 [Fri]
グールド・考
Yさんに教えて頂いて、TV番組「知るを楽しむ・ーゲレン・グールドー
(鍵盤のエクスタシー)」の再放送を観ました。
始めの放送の時は、最終回だけ観れたのですが(記事はこちら)、
今回、全4回を観ることができました。
有難うございました。
内容は
<第一回>伝説の誕生
少年の頃から友達もなく、一人っ子で孤独。11才でコンクール入賞。
14才でデビュー。
アメリカでの演奏がレコード会社の目にとまり、22才でCDデビュー。
選曲は周囲の反対を押し切り「ゴールドベルグ変奏曲」に。
これが、今までの常識を破る高速バッハで歴史的名盤となる。
グールドはバッハの数学的調和に魅せられていたのではないかという推論。
<第二回>コンサートは死んだ
CD発売後、世界の巨匠たちと共演。絶賛される。
ところが徐々に不満を募らせる。
音楽は見世物ではない、孤独の中でひとり音楽と向き合いたい、等。
又聴衆に醜悪な騒音であるからと拍手を禁止。
そして事件が起こる。
バーンスタインとカーネギーホールでブラームスの協奏曲第一番を共演。
バーンスタインが演奏前に異例のスピーチ。
「曲の解釈で意見が合わなかった。コンチェルトにおいて、
誰がボス?ソリストか?コンダクターか?」
グールドはかなり遅いテンポで語りかけるような親密な演奏を貫いた。
翌日、新聞が痛烈に非難。深く傷ついた。
2年後コンサートは死んだと発言したレコードを作り、
その後一切コンサートをしなかった。
グールドが語っています。
「コンサートは評判を築くためガマンするものと思っていたが、
数日おきの演奏会はうんざりするし、無意味だ。
自分のレコードに負けない演奏を目指すしかなく、コンサート活動は手抜きになる。
毎度おなじみの作品の繰り返しで
想像力を欠いた演奏をするようになるのが恐ろしい。
耐えられない。」
理由としてあと一つ推察されるのは、作曲家として大成したいという野心を
持っていたのではないかということ。
だが、うまくいかず、創作意欲をスタジオでの録音に傾けていく。
<第三回>逆説のロマンティスト
イギリス組曲の録音風景。テイクを重ねる。
「録音のときは16の違う方法で演奏することを頭においてやっている。
録音はコンサートの代用品やコンサートを補うものではない。新しい領域だ。
コンサートでは得るものがない。編集は創造的なごまかし」
グールドは録音スタジオで自由を手にした。
又このことは、聴衆の反応を気にしないで音楽を探求でき、
新たに聴衆に問いかけるということでもある、と言える。(推論)
彼は、聴衆たちがハプニングに反応することを狙って
高速モーツァルトを録音した。
何故、そういうことをしたか?
「録音技術で重要なことは、すべて前の時代に言われているから、
現代に生きる自分たちに残されているのは、
これまでと違いながらきちんと成立し得るという存在理由を見つけることだ」
エキセントリック(常軌を逸した→風変わりな)の代表として・・
モーツァルトのソナタ。
高速でメロディーの美しさよりも構造を明確にする演奏をねらった。
ロマンティック(情緒豊かな)の代表として・・
ブラームスの間奏曲集。
テンポが遅くロマンチシズムが色濃く現れている。
エキセントリックでありながら、ロマンティック。
現実を超えて彼岸を追い求めるグールドの二つの顔だった。
<第四回>最後のゴールドベルグ
孤独と隔絶。
カナダに住み続け、孤独の中でこそ創造力が育まれると。
そして時代から隔絶したバッハを理想とした。
一人選べ、と言われたら迷うことなくバッハ。
デビュー盤「ゴールド~」は30の変奏が自分勝手に振舞っていて、
元になっているバスの動きについてバラバラにコメントしているようだった。
聴く人の心に静けさを与えたい」
そして、再録音の半年後、急逝。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この番組を観て、いろいろ考えさせられました。
特に第二回は衝撃を受けました。
鼻歌まじりの演奏、陶酔しきった演奏、身振りを交えた行儀の悪い演奏。
音楽に没入したいため聴衆が邪魔な時が多かった、とか。
演奏は恋愛、見るものではない、など。
これらの言動から、
この人は自分のために(もしかしたら神への捧げ物として)演奏しているのかもですね。
人がどう受け止めようと関係ない、自分が満足すればいい、とわかっているのに、
聴衆の反応や評価に左右される自分がイヤだったのだろうと想像します。
演奏を人に聴かせる、聴いてもらうとは、どういうことなのでしょう?
ピアニストとは、演奏を聴いてもらうのが仕事。
そして演奏するよろこびと、そのよろこびを聴衆と分かち合うということが
重大な側面でもあるかと思います。
でも、グールドのコンサート拒絶の言葉もわかる気がします~。
CDがいいからとライブを聴きにいっても、そうでもない時があります。
逆にライブがすごく良かったのに二度と聴けない、ということもありますね。
フジコ・ヘミングが「ラ・カンパネラ」ばかり要求されてウンザリすると発言しています。
もしかしたら、他にもグールドに賛成のピアニストがいるかもしれませんね。
バーンスタインの言葉「コンチェルトにおいて、
ソリストとコンダクター、どちらがボス?」
この疑問は、以前の記事“オザワとユンディ”の時に思いました。
ユンディがテンポを決めたのです。オザワにとっても許せる範囲だったのでしょうが。
バーンスタインは、もちろんコンダクターがボスだと言いたかったのでしょうね。
普通は、双方の歩み寄りなどで結果を出していくと思われますが、
歩み寄れないくらいの大きな差、どうすればいいのでしょう。
このテンポ、この解釈で弾いても了解の指揮者を募集!・・・現実的ではないですね(汗)
3年前、ショパコンのガラコンサートで、
二人のソリストが同じコンチェルトを弾きました。
指揮者とオケが同じであるにもかかわらず、ソリストはもちろんのこと、
オケが全く違う演奏でした。
オケとソリストは互いに反応・刺激しあうものだと思いました。
そして、作曲家の意図をくみとる演奏と自分の感性に従う演奏。
これは、正しい、正しくないの問題でしょうか?
コンクールなら、後者はノーですね。
聴く側にたつと、好きかどうか、癒されるかどうか、元気がもらえるかどうか、
もう少し立ち入ると、解釈において新しい発見があるかどうか、
心の琴線に触れられるかどうか、等、そういう期待をもって聴きます。
どれを受け入れるかは主観の問題。
気弱でありながら勇気のあるグールドのこだわり、好きです!^^
(鍵盤のエクスタシー)」の再放送を観ました。
始めの放送の時は、最終回だけ観れたのですが(記事はこちら)、
今回、全4回を観ることができました。
有難うございました。
内容は
<第一回>伝説の誕生
少年の頃から友達もなく、一人っ子で孤独。11才でコンクール入賞。
14才でデビュー。
アメリカでの演奏がレコード会社の目にとまり、22才でCDデビュー。
選曲は周囲の反対を押し切り「ゴールドベルグ変奏曲」に。
これが、今までの常識を破る高速バッハで歴史的名盤となる。
グールドはバッハの数学的調和に魅せられていたのではないかという推論。
<第二回>コンサートは死んだ
CD発売後、世界の巨匠たちと共演。絶賛される。
ところが徐々に不満を募らせる。
音楽は見世物ではない、孤独の中でひとり音楽と向き合いたい、等。
又聴衆に醜悪な騒音であるからと拍手を禁止。
そして事件が起こる。
バーンスタインとカーネギーホールでブラームスの協奏曲第一番を共演。
バーンスタインが演奏前に異例のスピーチ。
「曲の解釈で意見が合わなかった。コンチェルトにおいて、
誰がボス?ソリストか?コンダクターか?」
グールドはかなり遅いテンポで語りかけるような親密な演奏を貫いた。
翌日、新聞が痛烈に非難。深く傷ついた。
2年後コンサートは死んだと発言したレコードを作り、
その後一切コンサートをしなかった。
グールドが語っています。
「コンサートは評判を築くためガマンするものと思っていたが、
数日おきの演奏会はうんざりするし、無意味だ。
自分のレコードに負けない演奏を目指すしかなく、コンサート活動は手抜きになる。
毎度おなじみの作品の繰り返しで
想像力を欠いた演奏をするようになるのが恐ろしい。
耐えられない。」
理由としてあと一つ推察されるのは、作曲家として大成したいという野心を
持っていたのではないかということ。
だが、うまくいかず、創作意欲をスタジオでの録音に傾けていく。
<第三回>逆説のロマンティスト
イギリス組曲の録音風景。テイクを重ねる。
「録音のときは16の違う方法で演奏することを頭においてやっている。
録音はコンサートの代用品やコンサートを補うものではない。新しい領域だ。
コンサートでは得るものがない。編集は創造的なごまかし」
グールドは録音スタジオで自由を手にした。
又このことは、聴衆の反応を気にしないで音楽を探求でき、
新たに聴衆に問いかけるということでもある、と言える。(推論)
彼は、聴衆たちがハプニングに反応することを狙って
高速モーツァルトを録音した。
何故、そういうことをしたか?
「録音技術で重要なことは、すべて前の時代に言われているから、
現代に生きる自分たちに残されているのは、
これまでと違いながらきちんと成立し得るという存在理由を見つけることだ」
エキセントリック(常軌を逸した→風変わりな)の代表として・・
モーツァルトのソナタ。
高速でメロディーの美しさよりも構造を明確にする演奏をねらった。
ロマンティック(情緒豊かな)の代表として・・
ブラームスの間奏曲集。
テンポが遅くロマンチシズムが色濃く現れている。
エキセントリックでありながら、ロマンティック。
現実を超えて彼岸を追い求めるグールドの二つの顔だった。
<第四回>最後のゴールドベルグ
孤独と隔絶。
カナダに住み続け、孤独の中でこそ創造力が育まれると。
そして時代から隔絶したバッハを理想とした。
一人選べ、と言われたら迷うことなくバッハ。
デビュー盤「ゴールド~」は30の変奏が自分勝手に振舞っていて、
元になっているバスの動きについてバラバラにコメントしているようだった。
聴く人の心に静けさを与えたい」
そして、再録音の半年後、急逝。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この番組を観て、いろいろ考えさせられました。
特に第二回は衝撃を受けました。
鼻歌まじりの演奏、陶酔しきった演奏、身振りを交えた行儀の悪い演奏。
音楽に没入したいため聴衆が邪魔な時が多かった、とか。
演奏は恋愛、見るものではない、など。
これらの言動から、
この人は自分のために(もしかしたら神への捧げ物として)演奏しているのかもですね。
人がどう受け止めようと関係ない、自分が満足すればいい、とわかっているのに、
聴衆の反応や評価に左右される自分がイヤだったのだろうと想像します。
演奏を人に聴かせる、聴いてもらうとは、どういうことなのでしょう?
ピアニストとは、演奏を聴いてもらうのが仕事。
そして演奏するよろこびと、そのよろこびを聴衆と分かち合うということが
重大な側面でもあるかと思います。
でも、グールドのコンサート拒絶の言葉もわかる気がします~。
CDがいいからとライブを聴きにいっても、そうでもない時があります。
逆にライブがすごく良かったのに二度と聴けない、ということもありますね。
フジコ・ヘミングが「ラ・カンパネラ」ばかり要求されてウンザリすると発言しています。
もしかしたら、他にもグールドに賛成のピアニストがいるかもしれませんね。
バーンスタインの言葉「コンチェルトにおいて、
ソリストとコンダクター、どちらがボス?」
この疑問は、以前の記事“オザワとユンディ”の時に思いました。
ユンディがテンポを決めたのです。オザワにとっても許せる範囲だったのでしょうが。
バーンスタインは、もちろんコンダクターがボスだと言いたかったのでしょうね。
普通は、双方の歩み寄りなどで結果を出していくと思われますが、
歩み寄れないくらいの大きな差、どうすればいいのでしょう。
このテンポ、この解釈で弾いても了解の指揮者を募集!・・・現実的ではないですね(汗)
3年前、ショパコンのガラコンサートで、
二人のソリストが同じコンチェルトを弾きました。
指揮者とオケが同じであるにもかかわらず、ソリストはもちろんのこと、
オケが全く違う演奏でした。
オケとソリストは互いに反応・刺激しあうものだと思いました。
そして、作曲家の意図をくみとる演奏と自分の感性に従う演奏。
これは、正しい、正しくないの問題でしょうか?
コンクールなら、後者はノーですね。
聴く側にたつと、好きかどうか、癒されるかどうか、元気がもらえるかどうか、
もう少し立ち入ると、解釈において新しい発見があるかどうか、
心の琴線に触れられるかどうか、等、そういう期待をもって聴きます。
どれを受け入れるかは主観の問題。
気弱でありながら勇気のあるグールドのこだわり、好きです!^^
- at
- [Gould (グールド)]
- TB(0) |
- CO(4)
- [Edit]
私も第1回を録り損ねていたので、これで全編揃いました。
物議を醸したというブラームスのコンチェルト、そんなにテンポ
遅いと感じられましたか?
こういうブラームスもありか、と思ったけどなぁ~^^
当時はあまり受け入れられない演奏だったのですね。
グールドは少し早く生まれすぎたのかもしれません。
今なら彼が理想とする生き方がもっと楽に出来たかも・・・
しかしながら、自分の主義を貫き通したグールド、私も好きです。
最近、彼のイタリア協奏曲とパルティータのCDが好きで毎日
聴いています。
左手が、やっぱりいいですね!(笑)